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コラム 坂口さん

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干場「うぁ、それはかなりのしびれる経験ですね。どれくらいハワイにいらしたんですか?」


坂口「結局、1年のつもりが4年もハワイにいることになってしまったんです。本当はハワイで就職したかったんですが……」


干場「日本に帰ってきてからどうされたんですか?」


坂口「日本に帰ってきたときにプロレス会場で事務所の 社長にスカウトされたのが、この世界に入ったきっかけです。ハワイ在住の最後の1年間くらい、地元のフリーペーパーのモデルをやっていたこともあったの で、その延長……という感覚でした。最初は『メンズクラブ』のモデルを2年間務めさせていただいて、夜は飲食業の手伝いをしていました。自分はそのうち飲 食業に進むかな、なんて考えていたんです」


干場「その後、俳優へと活動を広げた、ということですね。その転機はどんなものだったのでしょう?」


坂口「最初、俳優業に進む気はなかったんです。ある 時、ちょっとした役をいただいて。それが冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを飲むというシーンだけだったんですが……。全くダメで。ただ、それだけなの に、ぎこちないぎこちない。本当に出来なくて、監督におまえ何やってんだ~!って怒られて、自分にはこの世界、向いてないなって思ったくらいでした。3本目にきた仕事が“池袋ウエストゲートパーク”というドラマで、金髪に黒い肌、鼻と耳にピアスをつけているという強烈な外見の全く自分自身とはかけ離れた役で、カメラの前に立ったら、気持ち良かったんです。役柄に初めて入れて、あ、芝居って面白いな、と思えたんです」


干場「それは、お幾つの頃のことですか?」


坂口「26歳でした。当時、そのドラマには妻夫木聡、佐藤隆太、小栗旬とかが出ていて、もうみんな目立ったもん勝ち!みたいな感じでアドリブもガンガンやるんですよ。台本通りじゃなくてもいいんだ、みたいに開けたんです。で、続けてみようかなと思って俳優業に本腰を入れました」


干場「18歳の時にハワイに行って、26歳で俳優を続けようと思って、と転機が2度ありましたが、次の転機はいつ頃だったのでしょうか」


坂口「実は、そのドラマで有り難いことに人気が出て、次々と仕事が入ってきたんですね。ドラマだけでなくCM、雑誌、ラジオ……で、どんどん自分の実力と人気との差を感じて、逆に自信がなくなってきたんです。その時に何かが足りないな、と振り返ったら、2年くらいサーフィンをやっていないことに気がついて。それで、一度スケジュールを半年ほど空けていただいたんです。それが31歳の時でした。その時、タイミングよく海外をサーフトリップするという旅番組のお話をいただいて、カメラマン、ディレクター、アシスタント、僕の4人で12か 国を旅してきたんです。その後、日本の海を巡る旅のお仕事をいただいて、さらにアジアの海を巡るというサーフィン紀行もやらせていただいたんです。趣味 だったサーフィンが仕事に繋がった上に、共感してくれる人が多くてとても嬉しかったですね。当時、自分のライフスタイルをすべてサーフィンに捧げたい、と いう位の想いで出演していましたし、それがニュース番組でも取り上げられ、ああ、これでひとつ形になったな、と思えました」」


干場「ひとつ達成した、と」


坂口「ニュースでは環境問題を絡めて取り上げていただきました。海で泳ぐのはタダ。僕たちより前のサーファーたちが守ってきた海を、来た時より綺麗にして帰るつもりでクリーンにしたい。自然を守っていくのも自分の役割なのかなって思っています。100年後や自分たちの子供たちが訪れた時も綺麗であって欲しい。僕はプロサーファーではないけれど、幸いにもテレビなどに出る立場なので、そういう海の素晴らしさやサーファーの側面の部分を、テレビを通して伝えていけたらいいなと思っています」


干場「ではそこが大きな転機だったんですね」


坂口「役者としてやって行く覚悟ができましたね。そういう時に出会ったのが“医龍”というドラマだったんです。有り難いことに当たり役と言っていただける役に巡り会えました。そして1つそういう役に出会えたことが、さらに自信に繋がりました」







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